カスタムナイフメーカー

原 幸治 – Koji Hara –

更新日:

歴史

1949年 佐賀県伊万里市にて生まれる。
1965年 16歳のときに姉のつてで関市の会社に勤める
1980年 Gサカイ入社
1988年 ナイフ工房(ナイフハウス ハラ)を開きナイフを造り始める
1994年 アメリカのショーにはじめて行く
1998年 イーストコーストナイフショー「モスト・イノベイティブ賞」を受賞、エアーステップ
2010年 ソルバング「ベスト・オブ・ショウ」を受賞、龍の蒔絵
上記以外にも国内外さまざまなナイフショーで受賞

ナイフを志したきっかけ

16歳のときに姉と入れ替わるように九州から岐阜県関市に来た原幸治氏は、勤めた会社が菊水などの関のナイフを卸してた関係で東京銃砲火薬店の社長、藤田さんと後のA&F赤津さんと出会いました。

藤田さんや赤津さんにナイフのことを色々と教えてもらった幸治氏はそこで初めてナイフの神様と呼ばれるラブレスのナイフを見せてもらい、ナイフを造りたいと思ったそうです。

25歳のときに古川四郎氏に憧れてカスタムナイフメーカーになりたいと思い「HOW to make knife」という英語の本を借りて英語読めないながらもナイフを造り始めたとのこと。

当時ナイフの日本市場が良く、ラブレス氏が来日、丁度クザン氏がラブレスと喧嘩して出ていった時だったためか原氏が勉強にラブレス氏の元に行くという話が出たとのこと。

パスポートまでとって準備したもののラブレスはOKだったのですが周りから反対されて行くことが出来なかったそうです。

それをきっかけに当時の会社をやめ、様々な会社を経て営業の仕事などもするものの、どうしてもナイフの製作を諦めることが出来ず、Gサカイを紹介され勤めることとなりました。

その後Gサカイに約3年、下請け会社に約4年勤めるも業績悪化のため下請け会社が潰れることに。本社に戻ることもできたそうですが、この機会を逃したら…と独立してカスタムナイフメーカーとなる道を選んだそうです。

こうして原氏が39歳の時、親類のつてで工場の一画を借りカスタムナイフメーカーとしての活動を開始しました。

エアーステップ

棚田からインスピレーションを受けて造った段差が特徴のエアーステップ

ナイフ造りはラブレスのコピーから始めた幸治氏。日本ではラブレスのコピーしか売れないということもあり最初の3年はラブレスばかり造ったそう。

とにかく数を作らなくては腕は上がらないとがむしゃらにナイフ制作を続ける幸治氏。
現在は月に15~20本、年間160~170本制作するのですが、当時は月に100本以上作るなどしたこともあったとのこと。

幸治氏はGサカイに勤めていたためにプロダクションナイフメーカーとされ日本の市場にはなかなか受け入れられませんでした。

1994年にアメリカのナイフショーに初めて渡航。そこでコピーではなくオリジナルを創らなくてはダメだと感じたとのこと。

そこから試行錯誤を繰り返し、エアーステップを発表。大ヒットとなりカスタムナイフメーカーになってようやく軌道に乗ったと感じたそうです。

CRKTのデザイナー、ブライアン・タイがエアーステップデザインのナイフを発表した時ブライアン氏にエアーステップの元は誰か知っていますか?と聞いたところ知らなかったそう。

エアーステップデザインがナイフ業界ではポピュラーであり、ナイフデザインの一つとして浸透しているのが伺えます。

息子の龍一氏にそろそろエアーステップをもう一度造ってオリジナルは自分だとアピールしてはどうか?と言われ、どうしようか迷っているとのこと。

竹モチーフ

エアーステップも2~3年でブームがあっという間に去り、当時様々な人からエアーステップは安すぎると言われる安い価格ということもあって、ブームが去った後は再び厳しい状態になったそう。

そんな中で様々なアイデアを形にしていくうちにコンスタントに売れたのが「竹モチーフ」のナイフだったとのこと。

ナイフ業界で竹モチーフのハンドルを出したのは原幸治氏が初めてでしょう。

明治から大正に活躍した大工道具を造る鍛冶屋の千代鶴是秀(ちよづるこれひで)の切り出しの中に竹のハンドルのものがあった。
また当時台湾のナイフショーであった方が竹ですばらしいナイフを作っていたのが幸治氏の頭に残っており、竹のデザインを作ったとのこと。

最初に造ったのはメダケでその後も竹シリーズのナイフはどんどん増えて今では原幸治氏の代表的なナイフの一つとなっています。

蒔絵

日本の伝統工芸、蒔絵(まきえ)。一番に驚くのはナイフ本体よりも高価なその価格です。
そんな高価となる蒔絵のナイフをどうして造るようになったのでしょうか?

幸治氏いわく、カスタムナイフメーカーになりたいと思った当初より蒔絵のナイフを造りたいと考えていたそう。

ギャラリー千代を作ったときにオープニング個展を開催。釣り道具のダイワがナイフを作ってくれといって頼まれたつてで、個展にダイワのロッド(釣り竿)を展示されたそう。そのロッドに蒔絵が施されており、カーボンの上に蒔絵が可能なら貝殻の上にも可能だろうとダイワの担当者に頼んで蒔絵の絵師を紹介してもらったそうです。

そうして石川県の輪島にいる蒔絵師に会いに行き、交渉の末ナイフに蒔絵を施してもらうことに。

当初は幸治氏が思うようなバランスにならず苦労したそう。費用を負担してミラノのナイフショーに連れていき勉強してもらうもあまり変わらず、結局は数をこなすうちに徐々に幸治氏が思うようなバランスになっていき、今ではモチーフを伝えると、細かい打ち合わせをせずともほぼ思い描いたようなイメージで蒔絵を描いてくれるようになったとのこと。

この蒔絵のナイフでどうしても獲りたかったソルバング(アメリカ Solvang Custom Knife Show)の賞(BEST OF SHOW)を2010年に受賞し、とても嬉しかったそうです。
※ソルバングは限られた招待客と招待メーカーで開催されるレベルの高いナイフショー

幸治氏が一番気に入っている絵柄は「カマキリ」。
表はカマキリがセミを狙っている絵柄、裏はカマキリがセミを食べている絵柄で非常に素晴らしかったので今でも目に浮かぶとおっしゃってました。

そんなに気に入ったのならまた同じ絵柄のナイフを造ればいいのではないか…と言ったら、高額なナイフで特別感を出すために少ししか造らないとのこと。カマキリの絵柄は3本造りましたがそれぞれ絵柄は違うとのこと。

蛇足ですが同じように七宝焼のナイフも造りたいと思い何度かチャレンジしたもののうまくいかず、現時点では実現されていないとのこと。

ナイフのこだわりとこれから

原幸治氏のフォールディングナイフを見るとライナーのブレードが収まる部分に極僅かに段差があるのが分かります。

実はこれはブレード開閉時にブレードに擦り傷がつかないように逃げを作っているとのこと。その段差わずかに0.3mm。ピボット周りとライナーに施している逃げ(段差)はウォーレンオズボーン氏より教わったテクニックだそう。ライナーロックではロックが無い側、ロックバックやスリップジョイントでは両側のライナーに逃げを作るそうです。

年を経るごとにさまざまなテクニックが生まれるので、それを貪欲に吸収してさらに良いナイフを造っていきたいとのこと。

細かい作業では今流行りのハズキルーペを掛けているとのこと

長時間座っての作業と一日一万歩以上作業場歩くハードな仕事は足腰が重要。2ヶ月ほど前から初めた相撲の四股踏み(しこふみ)で体が非常に楽になったとのこと。今は毎朝140回ほどやっているそうです。

日本の代表的なカスタムナイフメーカーである原幸治氏もナイフ制作から30周年となり、記念ナイフを制作。数量限定で好評発売中です。

原幸治氏の作品はこちら>>

-カスタムナイフメーカー

Copyright© ナイフの話 , 2019 All Rights Reserved Powered by STINGER.